昭和46年7月初め頃の話。
東京に来て、クロダイを釣った経験がなかったので、
何とかものにしたいと、釣り雑誌・新聞などで情報を集めて釣り場の研究をした。
いろいろ迷ったが、御宿海岸の北側に位置する岩和田港に決めた。
御宿海岸は、童謡「月の砂漠」の舞台となった所でもあり、また、港の近くに「メキシカンホテル」という名のホテルがあって、なんとなく面白そうな所だと思ったからでもあった。
御宿駅に着いたのは、午後7時を回っていた。
地図を頼りに岩和田港を目指したのだが、夜のことでもあり、迷いに迷って何とか港にたどり着いた。
人影はなく、堤防に打ちつける波の音だけが聞こえる。
魚市場の常夜灯の下で、釣り雑誌などから収集したメモ帳と現場とを照らし合わせてみたが、皆目検討がつかない。
堤防の外側にはテトラが頭を出し、しぶきが跳ね返っている。
「これは危ないな。堤防の内側で竿を出すより仕方がない…。」と思った。
仕掛けを付け、ポイントらしき個所を探ってみたが、全然アタリがない。
どうしたものかと思案していると、雨が落ちてきた。
時計を見ると11時を回っている。
魚市場に移動して、様子を見ることにした。
こんな時にはいつも後悔する。
「俺は、なんでこんな事をしているんだろうな」・・・と。
話す相手もなく、無性に寂しくなってくる。
しばらくすると、雨が上がってきた。
折角来たんだから場所を変えてもう一度やってみようと思い、通りに出て、来た道と反対の方へ行くことにした。
暫く歩くとトンネルが見えた。
それは真っ黒い口を開けていて、なんとも不気味に思えたが、引返すわけにもいかず、思い切って入って行く。
トンネルといっても『隧道』と呼ばれるもので、岩肌が露出し、天井からしずくが落ちてくる。
中程あたりに来たところで、「シャッ!シャッ!」と、誰かが後ろからついて来るような音がするので、思わず振り返った。
だが誰もいない…。音も止まっている。
何だか寒気がする。
歩き始めると、またも「シャッ!シャッ!」と音がする。
その時気づいた。
雨合羽の擦れ合う音だったのだ。
隧道の壁に反射して音が大きくなり、人の足音のように聞こえたのだろう。
自分でも苦笑したのを覚えている。
だがその時は、横溝正史の小説の中にいるような錯覚に陥って、本当に怖かったのだ。
隧道を出ると雨は止んでいた。
暫く歩くと右の方から潮騒の音が聞こえてきた。
さらに歩みを進めると、小径があったので、降りてみることにした。
雨にぬれた急な坂道を下りるのはなかなか大変で、何度か尻餅をついて、やっとのことで海岸にたどり着いた。
白い砂浜にはよせる波だけで、あとは闇があるばかり。
とりあえず釣り道具を下ろし、ふう~っと一息入れた。
暫くの間、釣りに来たことも忘れて波の音に聞き入っていた。
そのうち夜目にも慣れ、自分のいる所の状況が分かってきた。
左には小さな岬が張り出し、右には砂浜が広がっている海岸で、砂浜の後ろはには黒々とした絶壁が続いている。
立ち上がって岬の方へ歩いていくと、なんともいえない変な臭いがした。
嫌な予感がしたが、覚悟を決めて臭いに近づいて、ヘッドランプを当ててみると、人の身体くらいのアザラシの死骸が横たわっていた。
暗闇の中では人のようにも見えたのだが、アザラシだったのでホッとした。
その上のほうを見ると小さな小屋がある。
アザラシの脇を通り抜けて小屋に入ると、ガランとしていて何もなかった。
「今夜の仮眠場所にしよう」と決めて、元の場所に戻り、釣り仕度にかかった。
初めての場所だし、砂浜なので投げ釣りをすることにした。
軽く投げ、ゆっくり引いてくると、「ゴツ、ゴツゴッツ!」とアタリを感じたので思い切りしゃくったが、見事に糸が切れてしまった。数回同じ事を繰り返したが、結果は同じ。
仕掛けが無くなってきたので最後にしようと思い、20m位投げて引いて来ると「コツ、コツコッツ!」とアタリがあった。
軽くあわせてゆっくり引いて来ると、波打ち際に銀鱗が光った。
やっと一匹ものにした。
25cm位のイシモチだった。
それを潮時にして、小屋で仮眠したが、相当疲れていたためか、アザラシの死臭もあまり気にならなかった。
午前1時を回っていた。
5時頃目覚め、小屋を出て浜に下りた。
小径を下りきったすぐ右側に、尻尾のあたりを夏草に覆われたアザラシの死骸が横たわっていた。
砂浜に下りて海を眺めていると、沖合いに黒いものが浮いたり沈んだりしているのが見える。
「アザラシか?」と思い、しばらく目を凝らして見ていたが、海女さんだった。
これで納得!
仮眠した小屋は海女小屋で、投げ釣りで仕掛けを取られたのは、海草の根だったのだ。
アザラシの死骸はなぞのままだが…。
帰り支度を整えて小径を上がり、隧道を抜けて岩和田港までもどってきた。
昨日怖い思いをした隧道も、今朝通ってみると風情のある田舎のトンネルだった。
岩和田港では、再び竿を出す気にならず、御宿海岸を歩いて御宿駅に出た。
長い海岸線を歩いたが、その時間帯に御宿海岸を歩いていたのは私一人だったような気がする。
『月の砂漠』ならぬ『朝もやの砂漠』でした。
(記:副代表)
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